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無事、戻りました。 [その他]

5日間のボランティア活動を終え、昨日、無事に帰宅しました。

地震発生から4ヶ月が過ぎ、それなりに街も元にもどりつつある所もありましたが、現状は未だ目を覆いたくなるような風景が広がっていました。

記録として、それらを写真におさめ残そうとも思ったのですが、ファインダーにおさまる景色の中ではたして何人の方が犠牲になってしまったのかと思うと、とてもシャッターをきる気にはなれませんでした。

なので、それぞれの街の被災状況については写真を撮ることはしませんでした。ただ、僕は鉄道を趣味にする人間の一人として、現地を走るJR仙石線の早期復旧の願いも込め、未だ復旧の目処がたっていない区間の被害状況をおさめてきましたので、ここに掲載しようと思います。

野蒜駅
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ニュース等でも良く流れていた野蒜駅。ホームはほぼ原型を留めていますが、その後方にある住宅地の民家の殆どが、1階部分は津波により破壊されていました。手前に垂れ下がっているのは架線。

東名駅付近
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列車の往来が無くなってしまった今、軌道上には雑草が生い茂る。架線はめちゃくちゃになっており、凄まじい負荷がかかったことが覗える。一見、軌道は無事に見えるが道床が部分的に沈下しているところもある。

野蒜~陸前小野間
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地震により緊急停止したと思われる列車が、線路上で今もそのままの状態で残っていた。この列車の前後は、架線や軌道が破壊されているところもあり、当分の間は基地に戻れそうにない。手前の畑は、復旧作業により瓦礫等の多くが撤去されていたが、まだところどころに何かの残骸が残っていた。

写真を撮った区間以外でも、特に海沿いを走る区間では架線が柱ごと無くなっていた場所が多くあり、全区間での運行再開には相当な時間がかかると思います。
また、気仙沼線は、橋脚だけ残して橋桁ごと流されてしまったり、築堤が完全に破壊されてしまった部分が多く、採算を考えるとこのまま廃線になってしまいそうな感じでした。


私たち一行は、野蒜駅近くの、とある個人様宅の1階部分の床板剥しおよび壁の撤去作業をやってきました。そのお宅の家主さんは消防団に入っており、地震当日も召集され避難誘導等に従事されていたそうです。その間に、あの津波が押し寄せ、お母様が亡くなられてしまったそうです。車も流され家も酷い状態、母親との別れ…そんな状況でも、私たちに手洗い用の水を汲んできてくれたり、冷たい飲み物でも買ってきましょうかとお気遣いをしていただいて、とても気丈に振舞ってくださいました。

最後は笑顔で「本当にありがとうございました」と言ってくださいました。こんなに重い「ありがとう」は、今まで経験した事がありません。

現地では、今後は草むしりや引越しの需要が多くなってくるとのこと。まだまだ「人力」に頼る部分が多く残っています。特に専門知識をもつ方の参加を求めていますので、技術を持ってらっしゃる方はボランティア参加を検討されてみてはいかがでしょうか?


ではまた…
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